天才とか有能じゃなきゃ、存在してちゃいけない気がしてくる -本当の自己肯定感とは-

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無能じゃなくなるために必死

自分に才能がない事とか、結果が出ていない事、そういった現実を目の当たりにすると、頭がだんだん歪んでくる。

自己肯定感という言葉がよく話題になるが、おそらく自分にはそれが欠けている。

自己肯定感とは、一言でいえば「自分がどれだけ無能だとしても、この世に存在してていいんだと思える感覚」。

条件付きの肯定感は、自己肯定感じゃない。

自己肯定感がある人は、そもそも自己を肯定する時に、上記のような発想すらない人。

「え?だってそりゃ生きてていいでしょ」とシンプルに思える。

でも自分にはその感覚がないから、自分がこの世にいて、人から優しくされるには、「何か役に立つことの証明」「有能である事の証明」をしなくちゃいけないと思っている。

その時点で、自己肯定感のある人の発想じゃない。

自分が周りとコミュニケーションを取って、普通に生活して、普通に子供を産んで、普通に育てて、普通にこの日本で生存を許されるには、誰かの役に立っていないといけないし、なんなら「優秀な存在」じゃないとダメな気がしてくる。

誰かから愛されるには、「優秀な存在」で、何か才能や結果の伴った人じゃないといけないんじゃないか、そういう自分でいないといけないんじゃないかという感覚。

天才な自分とか、有能な自分。

そういう存在になっていないと、なぜか納得できなくて、不安で、叫びたくなる。

そういう感覚を、どこかに持ちながら生きている気がする。

努力の原動力は恐怖

自分で言うのもなんだが、学生時代は勉強がそれなりにできたので、クラスでは「頭いいね」と言われる存在だった。

ただ、天才肌と言われるタイプではなく、ちゃんと真面目に授業を受けて、宿題をやって、試験勉強をしていたタイプだった。

それでも学歴重視の日本においては、「優秀な○○君」として、学生時代はポジションを築いていた。

でも、一度あるコミュニティで「優秀な存在」として地位を確立しても、コミュニティが変われば、評価されるポイントも変わる。

たとえ勉強ができても、仕事ができるとは限らない。

勉強で優秀だったとしても、社会に出て優秀な人だと評価されるかは別の話だ。

事実、勉強においては「優秀な存在」として扱われていたが、部活動においては、そこまで「優秀な存在」ではなかった。

ただ、小学生から大学生まで、一貫して「ペーパーテストで高得点を出す」という評価軸は生き残る。

そしてそれなりの地位を占めている。

ペーパーテストで高得点を出す方法はいくつかあると思うが、「先生の言う事に素直に従えて、ちょっと面倒な事でも、真面目にそれなりの時間を投下して努力する」ことができれば、基本的に難しい事ではない。

学生生活の大半の時間は、「ペーパーテストで高得点を出すための勉強」の時間が占めているので、そこに適合して、言われたことを真面目に取り組んでいれば、自然と実力が上がってくる。

でもその努力の原動力には、「不真面目にやって怒られたくない」という恐怖や、「無能なやつだと思われたくない」という恐怖、

そして、「優秀な存在」としての自分、そのポジションを壊したくないという恐怖が、少なからず働いている事は確かだった。

でも所詮その程度の努力では、「クラスでは優秀だね」がせいぜいで、一握りにはなれない。

無意識の優生思想

おそらく、どこかで「優秀な人だけがこの世に存在しているべきだ」という優生思想のようなものがあるんだと思う。

有能な人は魅力的だし、天才も魅力的だ。

みんな魅力的な人が大好きだし、自分も大好きだ。

そして、どかこでうっすらと、自分もその魅力的な人の一員だと思いたい部分もある。

テレビやSNSで見る人々は、基本的に魅力的な人しかいない。

そんな人を毎日のように見ていたら、「世の中がこんな人ばっかりだったらいいのに」と思ってしまう。

こんなにも魅力的で、有能で、天才な人たちだけの世界なら、どんなに幸せな事だろうか。

それが次第に、「無能な人は存在するべきじゃない」にすり替わっていく。

それを無意識に内面化していくと、自分がその一員ではない事との矛盾が生じてくる。

その矛盾を埋めるために、努力する。

有能な人になるために、天才だと認められるために努力する。

なまじ学生時代に「優秀な存在」として扱われてきたばっかりに、それ以外の生き方、受け身の取り方が身に付いていない。

だから必死でその差を埋めようとする。

でなきゃ存在してはいけないような気がしてくるから。

心の底から求めているもの

自分が心の底から求めているものがある。

それは「無能な自分でも存在していていいと言ってくれる人」。

そんな自分でも愛すと言ってくれる人。

自分がどれだけ墜ちても、どれだけ無能でも、それでもいいと言ってくれる人。

でも、そういう人を得るには、その人に与えられるだけの愛情を持っていないといけない。

何か愛されるに値するだけのものを持っていないといけない。

無能な自分でも大丈夫と言ってくれるだけの、何かを与えないといけない。

それだけの存在になるために、あらゆる努力をしてその人を愛さないといけない。

そうやって努力すれば、もしかしたらそんな人も現れるかもしれない。

なんて思ってしまっているので、もう救いようがない。

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