悩みを相談された時にしてはいけない事-人にはそれぞれ所属すべき言葉がある-

目次

悩みを相談された時、その人は何を求めているか

悩み相談をする人とされる人、その2人の間でよくあるすれ違いには、「ただ話を聞いてほしかっただけなのに」というのがある。

よく言われるのは、男女の考え方の違いというやつで、男性は解決を求めるのに対して、女性は共感を求める、というもの。

自分は男性なので、どちらかというと「悩みを相談してるんだから、アドバイスとかを求めてるんじゃないの?」という”一般男性”側の気持ちの方が理解しやすい。

が、今回はそんな男女の違いだとか、そういう事を話したいのではない。

タイトルにもある、「悩み相談された時にしてはいけない事」という題材をとっかかりに、後半の方の「人にはそれぞれ所属すべき言葉がある」という事について話したいという方がメインだ。

そのためにも、まずは一旦悩み相談の事例を考えていきたい。

話を聞いてもらうと楽になる

誰かに相談するという習慣がない人(自分なんかもその1人)は、誰かに自分の悩みを話す時というのは、切実に解決策を求めていたり、何か行動を起こす事を前提に、許可やバックアップを求めている事が多い。

一方で、軽い悩みを、気軽に人に相談する習慣がある人にとっては、「悩み相談=少し込み入った世間話」くらいの認識なのだろう。

もちろん、そういう人だって、真剣な悩みや解決策を求めて相談する事もあるだろうが、

習慣のない人にとっては、「解決策の欲しい相談」9割の「ただ話を聞いて欲しいだけ」1割くらいなのに対して、

習慣のある人にとっては、「解決策の欲しい相談」1割の「ただ話を聞いて欲しいだけ」9割くらいの、世界観なのではないかなと思う。

確かに、習慣のない自分にとっても、解決策なんかない、単なる悩みの共有としての悩み相談をした時に、心が軽くなったり、自分だけが抱えていた問題を、誰かと共有することで、安心感を得たりする感覚は体験している。

だから、徐々に自分も「悩み相談=ただ話を聞いて欲しいだけ」という事の意味を理解してきている。

正しい言葉も、受け取れる態勢になっていないと意味がない

そうは言っても、「現状を改善するために何かしないと、根本的な解決にはならないじゃないか」と思ってしまう人もいるだろうし、自分も前までは本気でそう思っていた。

だけど、悩みを抱えている人というのは、その時点で様々な試行錯誤をしていたり、行動を起こしている事も多い。

それに、その時点で精神的にも落ち込んでいたり、万全な状態ではない事がほとんどだ。

そんな手負いの状態に、ただ正しいだけの言葉や、その人(相談された側)が信じているだけの「これが最善だ」なんて方法をぶつけたとして、果たして相手のためになるのだろうか。

自分の子供(成人)が犯罪をしてしまって、「自分の育て方が悪かったのか」と悩んでいる人に対して、

「子供の性格に親が与える影響は〇%と言われているので、確かに完全にあなた(親)が悪いわけではないですが、多少の責任はあるかもしれませんね」

という言葉は、正しいかもしれないが、存在する意味のある言葉なのだろうか。

その人に必要なのは、「親と子供は全く違う人間ですから、成人している以上、親だからといって責任があるわけではないですよ」という言葉だろう。

受験に失敗して落ち込んでいる人にかける言葉は、「次はもっとこういう風に勉強した方がいいよ」ではなくて、「確かに頑張ってたよね、努力した事にまずは自信を持って」みたいな事だろう。

その人が、落ち込んだところから立ち直って、再度やる気を出した時に、改めて「次はもっとこうしたら」という言葉が生きてくる。

人にはそれぞれ所属すべき言葉がある

でも、時にはめちゃくちゃ立ち直りが早くて、しかも素直で、「次はもっとこうしたら」がすっと入ってくる人もいる。

そういう人にとっては、”正しい解決策”も重要になるだろう。

でも一方で、少しの事で落ち込んでしまう人、自信をなくしてしまいがちな人にとっては、多少正しくなくても、「その人の気分が上がる言葉」を言う方が良い時もある。

現時点で健康で気力もある人に対して、「死ぬこと以外かすり傷」と言って、積極的にチャレンジさせるのは、意味があるかもしれないが、

すでに十分傷ついている人に対して、「死ぬこと以外かすり傷」なんて言っても、憎悪を生むだけだろう。

怠け癖が原因で、仕事が続かない人に対して、「3年はとりあえず働いてみろ」と言うのは、意味があるかもしれないが、

パワハラに悩んでいて、今にも精神を病んでしまいそうな人に対して「3年はとりあえず働いてみろ」というのは、とても酷だろう。

それぞれの人が、所属すべき言葉というのがある。

たとえ正しい事でも、所属すべき言葉と所属すべきでない言葉がある。

同じ人でも、その時その時の状況や体調によっても、年齢によっても、立場によっても変わる。

世の中に蔓延している、ある言葉に対して疑問を持ったとしても、

それは決して間違った言葉なのではなくて、あなたが所属すべき言葉じゃないというだけの事かもしれない。

持ってしまった疑問に対して、「いや本当はこうだろ」と反論する事も、時には必要かもしれないが、

疑問を持った時に、「ああそうか、これは自分の所属すべき言葉じゃないんだな」と思う選択肢を持っている方が、

世界をもっと正確に、”正しく”見ることができるのではないかと思う。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP