何かを極める人のなり方-1つの道を突き詰めるのに必要なこと-

この記事は、何かを極めた人・極めている人の記事ではなくて、むしろ何かを極めることは、自分には難しいかもしれないと悟った人間の記事です。

自分は、大学在学中に音楽で売れることを夢見て、1つのことを極める道を選択した人間で、ただ結局それは、自分には向いてないと悟りました。

こちらの記事で、その心境に至った過程を書いています。

目次

1つのことを極める道を選んだら、自分が器用貧乏だったことを忘れてしまった。

もともと、自分は何事も卒なくこなすタイプで、もちろんできないこともたくさんあるが、人よりも上達が早かったり、何かのやり始めには、割と評価されるタイプだった。

そして、おそらく運がいい事に、現代の学校教育で求められることが向いていて、そういう意味でも、小さいころから、なんでもそれなりにできるという感覚を持って生きてきた。

例えば、社会が争い真っ只中の時代だったら、めちゃくちゃビビりだったり、力が強いわけではないので、落ちこぼれだったかもしれない。

でも少なくとも、現代に生まれた自分は、苦手なことよりも、ある程度できることの方が多かった。

だけど、何かで飛び抜けた才能があるわけではなくて、いつも本気の人に追い抜かされていた。

何かをやり始める時は、吸収が早いんだけど、そのうち本気の人に抜かされるか、前から頑張って先を行っている人に、すぐ戦意喪失していた。

だから、もともと小さい時から、自分は器用貧乏という言葉がよく当てはまる人間だなと思っていた。

でも、大学入学を機に選んだ「何かを極める道」を進んでいた中で、次第に自分は、初めから音楽を志していて、音楽をするために生きていて、それが人生の主要な事柄である、と洗脳されていった。

もとからそういう生き方が向いていて、それを望んでいて、そうしていると勘違いしていたんだと、最近気づいた。

よく考えたら、もともとは自分は器用貧乏だと思って生きてきたはずなのに。

だけど何かを極める人生を諦められない

でも、その「自分は器用貧乏である」というのは、あくまで建前で、謙虚になっているだけで、本心は、自分は何かに秀でていて、何か特別な才能があるはずだ、と思っている。

1つのことを極める道は、自分には向いてないと悟った、などと言って、心の奥底では、きっと何か素晴らしい才能があるはずで、何かを成し遂げられるはずだと信じている。

「自分が器用貧乏である」ということも、実際はいつも、後になってから感じることだ。

自分の話に共感してくれるような人なら分かると思う。

何かをやり始める時は、いつもきまって、「このままこれを続けて、これを極めたら、どんな風になるだろうか。きっとあんなことやこんなことになり、こういう人生になる。」と、妄想を膨らませて、絶対この道を極めてやるんだ!と思いながら始めている。

だけどしばらくしたら、そこに対する熱は落ち着いていて、たいして努力もしてなくて、気づいたらどっちでもよくなっている。

そしてそんな自分に劣等感を感じて、次こそはと新しい事を始める時に、また同じことを思う。

よくこの手の、器用貧乏は器用貧乏なりに生きていくことにした、みたいな記事を読むと、なんだか本当に悟りに悟っていて、器用貧乏であることに誇りすら持っていて、本当に諦めているような感じで生きている人もいる。

でもそういう、「僕は器用貧乏だと分かっているんだ」みたいな、既に諦めきった人の言葉なんか、全然入ってこない。

最初から「これは別に、自分のただ一つのアイデンティティになるような、極めるようなものじゃない」と思いながら始めることなんて、興ざめにも程がある。

何かを始める時は、常に、これが自分の最も大切な存在になって、軸となるような、極めるべきものだ、と思ってやりたい。

まだ諦めたくない。

それでも、できないし、そんな自分で生きていかなきゃいけない

だけど一方で、もう20何年も自分の人生をやってきて、今までそれができなかった事実は、当然把握している。

だから、できていない。それは分かっている。だから、できない自分なりのやり方をしないといけない。

そこで自分は、極めるものを複数持つことにした。

最初は、極める対象を音楽に決めて、音楽だけを抱えていた。

だけど、いくら音楽だけを考えようとしても、何か別のものが入ってくるし、音楽だけを考えてはいるんだけど、体が音楽に向かない時も多かった。

試行錯誤して、なんとか自分の自由時間は、音楽のことだけをやろうとしたけど、結局今の今までそれは実現できなかった。

だから、そこにだけは折り合いをつけることにした。

別のことも同時に極める枠に入れることにした。

何か1つを極めようとするなら、それはご法度だと重々承知している。

二兎を追うものは一兎をも得ず。複数のことを極められるほど、人間の人生は長くない。

それは分かっている。

だけど、自分にはもうその方法しかなかった。

だから本当は、今生計を立てるために働いている勤め先は、必要最小限の労力で行い、残りを全て音楽に捧げる、というのが理想だ。

でもそれは結局できなくて、だから今の勤め先で働くことも、音楽も、同じぐらい大切なものとして扱うようにした。

そして今、さらに、このブログや、果ては占いなんてものも、その枠に入れようとしている。

大切さの度合いは多少調節するが、今挙げた全てを、大切なもの、自分が極めるもの、というカテゴリに含めるようにした。

そして、それらを同時並行で進めて、その日その時に一番自分が熱中できることに、自分の力を注ぐことにした。

どれが当たってもいい。どれが成功してもいいから、どれかで成功しようと。そういう方針にすることにした。

プロ野球選手だって、野球しかやってないわけじゃない

プロ野球選手、それも一流のプロ野球選手というのは、1つの道を極めている人の代表例だろう。

だけど、よく考えたら、そんな一流の選手でさえ、ずっと野球のことだけを考えている人は、どれだけいるんだろうかとふと思った。

友達と飲みに行くことだってあるだろうし、何か趣味を持っている人もたくさんいるだろう。

オフシーズンにゴルフ番組に出たり、本当に常に野球のことだけを考えているんだろうか。

自分の「一流の人像」「1つのことを極めている人像」が歪んでいて、何か勘違いをしているんじゃないかとも思う。

別に1つのことを極めて、何かで一流と呼ばれる人も、そのことだけを考えているわけじゃなくて、違うことも当然のようにしていて、

人によっては、別に一日何時間もやってるわけじゃない、でも一流と呼ばれている、という人だっているんだろう。

そして、例えばプロ野球選手なら、人生において、野球をプレーしていない時期の方が長い人も、よくよく考えたらいるだろう。

引退したら、解説者としてしか野球に触れることはなくて、プレーはもうしていない人とか。

コーチや監督になって、プレー自体はノックを打ったりぐらいしかしなくて、以前とは違う形で野球に触れている人。

そんな人たくさんいるだろう。

だから、よく考えたら、人生ずっと何か1つのことを突き詰めている人の方が稀で、そうじゃなくても一流と呼ばれることはできる。

そうすると、自分の、複数のことを同時並行で極めようという、半分無茶なやり方も、正当性が出てくるかもしれない。

「これを極めよう」なんて決めても無駄

そもそも自分は、何か極める人になりたくて、音楽の道を志した。

だけど、そもそも、意識的に「これを極めよう」なんて決めたところで、意味があるんだろうか。

今現在、何かを極めていると言われる人たちは、果たして意識的に「これを極めよう」なんて思ってやり始めたのだろうか。

もちろん、「これのプロになってやる」と思ってやり始めた人も少なくはないだろうが、そういう人だって、きっと色んな巡り会わせがあったはずだ。

たとえ自分の意志で、「これを極めたい!」と思っていたとして、才能や適性がなかったら、果たして続いているだろうか。

今何かを極めていると言われる人たちも、自分の熱意に加え、才能や適性に恵まれ、続けることができる環境があり、それを他人から求められる状態になっているからこそ、その道を続けることができて、極めているんだと思う。

だから、初めから決め打ちで、何かを極めようとするのは、そもそも無茶な発想だったのかもしれない。

色んなことに手を出して、色んなことに熱中して、そうやって無数のたくさんの道を志すことで、初めて何か1つ2つ、自分にとっての大切なものが手元に残るんじゃないかと思う。

だから、今は音楽を頑張っているが、もしかしたらまだ、自分にとってもっと大切な何かがあって、それを見つける必要がある状態なのかもしれない。

音楽を続けていくことで、それがいつか大切なものになるかもしれない。

残念ながら、まだ自分はそれを人から求められていなくて、極められてはいない。

だけど、とりあえず、色んなことを、それしかないと思って進めていくことで、いつか何かが見つかるかもしれない。

そうなんだよ。別に今やっている音楽が、その何かにならなくても元々良かったはずで、「何かを極めたい」という欲求が根本にあるなら、それは音楽じゃなくてもいい。

だから、複数のことを同時に極めようとして、そのうちのどれかが当たればそれでいい。当たったものが、いつか自分にとっての極めたものとして、誰かから言われるようになればそれでいい。

だから、音楽に縛れる必要はなくて、もしかしたらその音楽を、枠から外す時がくるかもしれない。

それでもいいから、自分にとって極める対象を、複数持っておき、今最も熱中できるものに、素直に行動すればいい。

ただ一つ、最低限自分のキャリアを考えて、大まかな方針から逸れない努力も必要だろう。

それが何なのか、感覚的にはあるけど、今すぐに言語化することができないので、これを読んでいる方にお伝えすることはできない。

読んでいる人それぞれに、その何かしらがあると思う。それを問いかけて、そこから逸れさえしなければ、何か1つのことを極めていなくても、興味やモチベーションの対象が、コロコロ変わっても、何かを極めて一流になる道は、まだあるんじゃないかと思う。

諦める必要なんて、まだない。

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