専門性のない人がブログを書く価値とは-ブログに何を書けばいいか-

目次

何も持ってない人がブログを書く意味って(長ったらしい前置き)

ブログを書く理由は、それぞれあると思うが、一番分かりやすいのは、お金を稼ぎたいというものだろう。

自分も、その動機が大部分を占めていて、もしブログを書くことが、将来的に一銭のお金にもならないのであれば、わざわざ時間を割いて、誰かに情報を発信しようなどとは思わないだろう。

今はまだブログを書き始めて間もないし、PVとやらも皆無に等しいので、特にお金になっているわけではないが、いずれはそこを目標にしているからこそ、こうやって何かを書き続けられている(自分の場合はブログ単体で稼ぐというよりは、集客したいなどの動機も強い)。

もちろん、単純にお金を稼ぎたいだけでやっているわけでもない。

もしそうなら、こんなクソの金にもならないような書き方で、ブログを書くべきではないだろうから。

今書いている文章なんて、ただの自分日記に等しい。

もっと誰かの役に立つような情報を、簡潔に書くべきだろう。

お前の感想なんて聞きたくない。

そう、お前の感想なんて誰も聞きたくないのだ。

例えば、メジャーの音楽業界に30年携わってきた人の、最近の音楽事情についての話や、プロの現場でどういったことが行われているのか、あの売れた歌にはこんな裏話があった、みたいな話は、多くの人が読む価値があるだろう。

日頃から使っている、あのサービスの開発に携わり、10年間第一線で活動しているプログラマーの話は、聞いてみたくなるだろう。

だけど、何の専門性も持たなくて、有名でもない、その辺にいるただの人間の自分語りなんて、誰が聞きたいだろうか。

自分は占い師として、今年から活動を始めた。

音楽もかれこれ数年は、曲を作り続けて、発表している。でも特に有名でもなんでもない。

もしこれらの道を極め、専門性を身に付けることができれば、価値のある発信もできるかもしれない。

でも、まだ自分にはそんな、人が聞きたくなるような専門性はない。

じゃあ、そんな人がブログを書く意味って、文章を書いて発信する意味って、提供できる価値ってなんなんだろうと考える。

いや、そんなものはないというのが結論なのかもしれない。

専門性も持たず、特別な経験もしておらず、有名でもない人間の「自分の感想」なんて、何も価値がない、というのが、結論になってしまうのだ。

でも、そんな人間でもブログを書きたいと思うし、これから、価値ある情報を提供できる人間にならなければ、お金も稼げないし、何もできない。

でも提供できる価値がない。

じゃあそんな人間が、文章を通して提供できる、なけなしの価値ってなんだろうと考えた時に、以下の3つが出てきた。

1.ちょっとした情報をまとめ、提供する

2.実体験を書く・そこから得た気づきを書く

3.同じ考え方の人がいるんだ、という心強さを与える

1.ちょっとした情報をまとめ、提供する

たぶん、何も持っていない人が一番やるべきなのは、これなんだと思う。

よくある、ちょっとした疑問に答える系のブログ。

たとえば、「ブログに何を書くべきか」をまとめた記事や、「ブログを始めるには」「WordPressの使い方」などの、HowTo系の記事などだ。

最近自分が見たものだと、「ワイシャツのアイロンの仕方」などがある。

こういった、常識的で大半の人が知っているようなことでも、初めて経験する人にとっては、そのちょっとした知識が役に立つ。

そういった、ちょっとした情報を、見やすい形にまとめ、記事を書くことで、それを必要としている人にとっての価値を、提供することができる。

これには、そこまでの専門性は必要なくて、一般的な知識を持っていて、人よりほんのちょっと詳しかったり、調べる労力をかけたり、正確な情報を持ってさえいれば、十分だ。

時には、専門外の人が、不十分な知識をもとに記事を書いて、それを多くの人が信じてしまい、間違った情報が広がる原因になる、なんてこともあるだろう。

というか、結構そういうのありそうだ。

だけど、まあ一つはこういう方法がある。

2.実体験を書く・そこから得た気づきを書く

そして、もう一つ強いのは、実体験を書くこと。

これだけは、絶対に誰かに取られることもなく、正しい情報であり、価値になりえるものだ。

芸能人が俳句を競い合うコーナーがある、プレバトという番組に出てくる、俳句の講師の方がよく言っていることに、「実体験はやはり強い」というものがある。

実体験に勝るものはないということだ。

これはブログもきっと同じで、実体験や、そこから得た気づきなどは、実感も伴っていて、生きた、価値のある情報になり得る。

ただ、これの注意点としては、ありきたりな実体験を書いても意味がないということだ。

高校生の時の文化祭が楽しかったとか、就活大変だった、留学した、みたいな、多くの人が経験しているようなことを題材に書いても、わざわざ読む必要がない。

例えば、超マイナーな国に旅行した時の話や、一風変わった採用試験を実施している会社の就活の話などは、発信する価値があるだろう。

また、誰もが経験しているようなことでも、例えば、文化祭がきっかけで、いじめられっ子から学校中のヒーローになった話とか、同じ留学でも、他の人がしていないような体験をした、など、深堀することができれば、価値が出てくるだろう。

あとは、逆にあるある話のような感じで、共感を集めるという方法もあるだろう。

文化祭あるある、色んな人の文化祭の体験をまとめたり、留学の体験でのあるある話などは、既に経験した人にとっては共感を持つことができるだろうし、これからする人にとっては、貴重な事前情報になるだろう。

つまり、珍しい体験をしたことを書くか、あるあるな体験で、経験済みの人に共感を与えたり、似た体験をした人に「私はこういう感じでした」と情報を提供したり、今から経験する人への事前情報の提供という形にするか、そういった方法で価値を作る。

ただし、一つ欠点として、書けば書くほど、書ける経験は減っていくということで、自分を切り売りすることになるので、限界はある。

3.同じ考え方の人がいるんだ、という心強さを与える

そして、個人的に一番需要が狭くて、全体的な価値は低いけど、何も持たない人ができて、最も刺さる文章を書けるジャンルがこれだと思っている。

実体験を書く、というのに近いところはあるが、純粋な情報提供とか、起きた出来事を書いていく、というよりは、日頃から思っている鬱憤だったり、不安だったり、考えだったり。

たぶん必要としている人は1000人に1人とか1万人に1人とかのレベルなんだけど、確実に何人かはいて、その人たちにとっては、めちゃくちゃ貴重な情報になり得るもの。

たぶん一度は経験があると思うんだけど、なかなか共感されないような、人に言うのも躊躇してしまうような、でも誰かに強烈に共感して欲しいような事を、Googleの検索窓に入れて検索するけど、このインターネットの大海原では、ようわからんTips記事とか、浅い事しか言ってない記事しか見つからなくて、自分が感じている、このニッチな、上手く検索するキーワードも設定できないような、ピンポイントな悩みや考え方は見つからなくて、ようやくそれらしいタイトルのページを開くけど、書いてて欲しい事は書いていない。

でも、ごくまれに同じような事を考えている人の記事を見つけた時の、心強さ。

自分だけがこの考え方をしているわけじゃないんだという。検索してみると、反対の意見ばかりで、自分側の意見の人は少なくて。でも自分の考えは正しいはずで。

自分と同じ意識を共有できる人がいた時の安心感。そうそう、間違ってないよね、という感覚。

これも、一つの価値だなと思う。

専門性もなくて、有名でもないけど、この超ピンポイントな考え方や感覚、思想などを後押しする「名もない誰か」の文章を書くことはできるなと思った。

でも需要はあまりない。

これも「自分の感想」でしかなくて、お前の感想なんて聞きたくない、に戻るんだけど、でも何も持っていない人に書ける文章というのは、こういうことしかないんじゃないかなと思う。

例えばこんなもの↓

正直自分は、1.のちょっとした情報をまとめて、提供する、ということに面白みを感じることができない。

そんなもの、どっかの誰かに任せていればいいと思う。

自分の承認、自分の満足、自分の思い。それを実現し、昇華するために文章を書いているみたいなところもあるので、自分としては、ここを狙いたいなと思う。

何度も言うように、きっとそれには需要はあまりない。

でも、専門性もない、有名でもない、特別な技術もない、そんな人間がこの世の中に提供できる価値といえば、そういうことなんじゃないかと思う。

不正確で、たいして情報量のないTips記事、HowTo記事を自分が書くぐらいなら、それは得意な人に任せて、自分は自分の魂が救われるような、1万人に1人とか10万人に1人しか共感してくれないような文章を、このインターネットという大海原に投げ、奇跡的に届いた1人に、心からの、熱烈な共感を与えるという価値を提供したい。

そういう意識で、自分は価値を作っていきたい。

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